日別アーカイブ 2013年4月6日

パワースポットで御守りを買う意味

では又パワースポットの話の続きです。
自分との相性がバッチリ合うパワースポットに行くとしましょう。
どれくらいそこに居れば良いのか、どのらへんの場所に行けば良いのか、これは皆さんわかりにくいところだと思います。
私も実際行ってみた所なら細かいところまでわかりますが、(そこの角を曲がったところからあの一帯にかけて・・・など)行ったことのない場所はちょっと調査に時間がかかります。

ではどれくらいの時間そこに居れば良いのか。これはその人の性質によります。感受性が高いか低いかだけでなく、その人への浸透性が高いか低いか。

鉄に磁石をくっつけ続けると、鉄も磁性を帯びて磁石になってくる。これは強い磁石であればあるほど、鉄は早く磁性を帯びて、磁石に変化してくる。そういうのが人と相性の良いパワースポットの関係にも当てはまります。
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例えば、傷心した人がその人のその時の性質と相性の良いお寺へ行ったとしましょう。
でも、日常はずっと家にいたり、職場にいたりして、結局傷心したことを癒したい為に、パワースポットに行くわけです。でもその寺社での滞在時間は、長く居るとして2~3時間が良いところでしょう。その間たくさんのパワースポットのエネルギーを浴びたところで、すぐに現実に戻るわけです。束の間のリフレッシュとはいうものの、家に戻れば又以前の状態に逆戻りする可能性があります。

だから、その逆戻りを防ぐために、その相性の良いところの御守りを買って帰って、その相性の良い寺社と同じ波調の、でもちっぽけなわずかなエネルギーだとしても家でもその相性の良い波調を受け続けていたい・・・とそういう理屈ですね。

では次は、その御守りについて、どの程度期待して良いのかのお話です。

パワースポットからエネルギーは得られるか

京都市にある、上賀茂神社などの序列上位の神社や、各大本山寺院(会社で例えれば本社)ならどこでも良いのか?

でしたね、話の続きは。
もちろん、そんなことはありません。
各神社仏閣ごとにもカラーがありますので、それと自分の波調が合うところに行かなくては意味がありません。
単なる見識を広めるためならデタラメに行ってもOKですが、パワースポットを探して訪れるということは現状を変えたり、変えなければならないから、その為のエネルギーを得られれば・・・という目的で行くわけでしょう?皆大なり小なり。
 
だったら、あらかじめ自分自身との相性やそこからどの程度の波動が出ているのかも知った上で行くことが一番効率的で、話が早いということになります。
 
話は又一歩進んで、では相性の良いところへ行ったら劇的に今の症状が変わるのか?例えば、傷心の人や、夢敗れた人や、野心家の人がそれぞれの思いを胸にそういったところに行くわけですね。
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その人が、凹の波調を持った人なら、凸の波動を持った寺社へいかないと意味はありません。凹の波調の人に△の波調が来てもうまく噛み合わない。凹の波調の人は、凸の波調を本質的に求めているわけで、噛んで初めてその噛んだ方もエネルギーとして取り込める。凹だけだったのが、凸もかっちりとくっつくと、凹と凸の両方の面積になるでしょう。その新しくくっついた凸の面積分エネルギーも増えるし、安定感も増す。
そういった原理です。

京都市の寺社・パワースポットについて

私が住んでいる関西には寺社が多いです。特にここ京都市内は犬の散歩中ですらどれだけの寺社に出くわすことか・・・。京都は神社や、各宗派のお寺がとても多いです。
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これらの宗教的な捉え方は別として、こういった場所にたまに深くまで入って行くのはとても新鮮なものです。それぞれの社寺に独特の空気感があり、波調・波動が漂っています。
ちなみに昨日は気分転換に、京都御所を犬と散歩してました。自転車もたまに通ってのどかなものです。桜の木の下で読書している青年もいて、ちょうど季節的に暑くもなく寒くもなくといったところ。
すいているので、この桜の季節の穴場ではないでしょうか。

ところで今回はそういった寺社や場所のパワースポットとしてのお話。
よく世間でパワースポットと言って、どこどこの神社が良いやら、お寺が良いやら言われていますね。もちろん京都にもたくさんあります。
そもそもパワースポットとはなんのことでしょうか?
そこへ行けば何かのパワーをもらえるわけなのか?
実際のところは、半分その通りで、半分違います。

そもそも寺社でいうその”パワー”とはまあ平たく言うと、その場所が出している波調=波動なのです。それはその地に関わる宗派、歴史、人と密接に関わりがあります。
そりゃ、京都で言えば都1200年以上の歴史の中で、この小さな京都市を目指して、たくさん戦が起こって、平氏・源氏、足利将軍や織田信長、等日本中の武将が皆執念・執着・怨念を持って目指した地です。又、文化人も千利休や雪舟、空海なんかも居座っていたのもここだったりします。

だから、まあその歴史から来る、色んなプロセスからつながってくる京都の寺社の持つエネルギーや波調・波動の大きさは他の地域の比ではありません。大本山と言われるのもそれなりの理由があります。

では、そういった歴史ある大本山ならどこでも良いのか。行けば行くほど良いのか。それは次のお話に・・・。