呪いと祟りについて
呪いと祟りについて
不幸やアンラッキーな事が続く時。昔からこれは、「何とかの祟りだ〜」とか、「何々の呪いだ〜」とか言いますね。普通に言い回しとして。呪詛とか災厄とかいう似た言い方もあるけどれ一旦ここでは置いときます。
じゃあここで呪いと祟りについて。
皆さん、調べたことがありますか?広辞苑でも良いし、三省堂の大辞林でも良い。小学館の国語辞典でも、大辞泉でも良い。グーグル辞書でもウィキぺディアでも良いでしょう。
そこには何て書いてありますか?
呪いも祟りも平たくいうと「人を不幸にしたりマイナスの方向に持っていくもの、災厄を及ぼすもの」と。そういった事が原理的に書いてある。まあそりゃそうなんだろうけども。
でもそれで終わっちゃダメなのです。
呪いでも祟りでもどちらであっても、それをどうしたら対処できるのかって事が大事です。色んな霊障を見て対処して来たからわかるのですが、辞書や教科書に書いてある事レベルで思考が止まっていたらダメで、その先を自分で考えて自力で切り開いていかないと進んでいかないと特別なそのご依頼特有の仕組みを知ることができないのです。
呪いと祟りでは、仕組みもタイミングも拡がり方も実は全く違う
私の場合、先に呪いを対処した経験が複数回ベースにあって、シュミレーションとして当時それを祟りに当てはめた。でも最初はダメだった。調整して処置してもあまり効かなかった。そうこうしている間はインフルエンザレベルの体感が来るからとてもヘビーでした。でも苦労して体感して確信できたのは呪いと祟りでは仕組みや動きが全く違うということだった。(例えるとこだわりのラーメン一筋何十年のお店か、一流ホテルのレストランでドレスコードありのお店かっていう違いのような。同じ食べるのでも準備から気持ちから費用から自他の動きやら全く違うでしょう?)
これは誰も教えてくれないし、じゃあ何がどう違うのかなんて細かくわかって説明できる人がいるはずもない。でも呪いも祟りも(依頼を通して)これを経験して来て実際にくらって、気づいて、生き延びるために必死で対処して来たからわかるけど、この2つは全く違う。ぜ〜んぜん違ってたって事なのです。だから呪いと祟りでは自ずと対処法や注意点も変わってくる。対峙した時のそれらからの体感やそれらの動き方も全く違うのだから。
(依頼を通して)呪いと祟りを経験して打ち勝って来たからわかること
呪いにしても祟りにしても向こうは消されるかもって考えて身構えるのが予想できる基本パターン。ぽっと出のお前は何者だ?何しやがる!?そうはさせるかこのやろー!ってこっちへ向かって来るのが普通。呪い側、祟り側の立場になればそう思うのは当たり前だろうし。そしてこっちの対処や処置を阻止しようとしてくる。だいたいヘビーな霊障は短期集中してかかりっきりでしないとこっちの日常生活に影響が来る時もある。
全く同じ内容の依頼内容なんてのはないのだから、都度これまでの経験や知識をベースにまずはそれぞれに合わせた対処法を組み立てる。そうやって正しくフィットさせていく。
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でもその依頼が発生する前に既にその対処方法は確立している事が望ましいでしょう?じゃあどうやってそれをしているか。私の場合は自然と事前に予知というか、何日か、何週間か、何ヶ月か前から準備が始まります。ご依頼が現実に発生する前にはもう最適化されているというか・・・。そういう風にさせられている。これはなんというか・・・ブログを5日に一回のペースで書こうと思っていても、それを押しのけて優先して来る。だから都度来る依頼を想定した生き方をしたくてしているのではないけれど、そうなるべくしてなっている感じです。
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