投稿者アーカイブ 貴喜

除霊

除霊の歴史

霊感で、何か憑依してきたな・・・。ってわかる人。
あの時から身体がおかしい。これは病気や何かに便乗して来ているものの方が厄介だな・・・。
などと皆がわかれば良いのでしょうが。
そういうわけにはいきません。

だから除霊という行為が時に必要になります。
これは今に始まったことではなく、太古より様々な儀式にも取り入れれており、日本の歴史上源氏物語や古事記、日本書紀などにもその怨念や想念などは深掘りされているのです。ここ洛中の上京や中京には、特に上京区にはそのような家もちらほら見ます。鏡餅を車につける人は今は見ませんが。。
霊の悩み事に対してどうするか?

 

除霊できる場所は

これに対して皆さん除霊が思い浮かぶ事だと思います。

寺社で除霊のお札を手にいれたり祈祷師に除去してもらう事を。

まあこれはこれでありなのですが、形骸化した儀式のみをするだけの寺社や用い方を正確に知らない人が作成するお札などでは解決せず、長年悩みを抱えておられる人もいらっしゃいます。

 

振り子∞波動研究所の除霊方法

ただ、実際その場所へ足を伸ばして予約して処置してもらっても、結局原因追及しないままの除霊ならば一時しのぎに過ぎません。
一般的に寺社にてそのために数万円のご祈祷代などを交通費とあわせての出費となると十万円以上かかることも珍しくないと思います。

当方では遠隔除霊もしていますが、原因追求した上でのアドバイスなども鑑定時はいつもしています。スカイプやラインを通してのご依頼に限りますので、リアルタイムでできる時もあります。

対症療法、根本対策共にご判断の上うまくご利用頂ければと思います。

祈祷・お祓い・除霊しても、霊障が治らない場合に

祈祷・お祓い・除霊をすると逆に悪化する場合に

ラップ音が激しくて、安心して寝られない。身体が痛くて、刺されて、切られて何が起こっているのかわからない。きっと悪い霊の仕業だと思うから何とかしてほしい。といった問い合わせを受けることがあります。

あちこちのお寺・神社・霊能者を渡り歩いて当所へ行き着く人も多いです。何度それらのおふだやプレートや石を当所で浄化滅却したことか・・・。

間違った処置をして、正しくない方法で霊を余計厄介にしてしまっていて困って来られる人もいました。

物事にはやっぱり順序がある

パニックになっている人も中にはいます。霊障パニックは、本人ではどうしようもありません。けれどそれにこちらが振り回されると判断を誤りかねません。ゆえに出来るだけ速やかに希望に沿う方法を冷静に導引きます。

本人の生き方に問題がある場合などはそれを理解して飲み込んでもらわないと、例えばラップ音や切られるのは治ったとしても、刺されるのは引きずる場合もあったりします。

手術で内臓の腫瘍を取ろうとしても、検査して、麻酔打って、切って、取り出して、縫合して、事後経過見て・・・って順序がありますね。いきなり取り出すってできないのは誰が考えても明らか。
霊障は一般的に目に視えないだろうからわかりにくいかもだけど、総じて正しい順序が要るっていうのはそういうことです。

喉元過ぎて痛さ忘れたら・・・どうなる?

生き方が問題の場合、その何が問題なのかは鑑定したらわかります。鑑定時から本人がそれを意識して当面維持できたら・・・。持続する努力を忘れないで。人間って良くも悪くも喉元過ぎれば熱さ忘れる生き物。でも、忘れることで、霊障が再発するパターンの人は、よほどそれが問題だってことなんだ。その人にとって。

霊的世界の感情(残留思念)こそは証拠

残留する感情(残留思念)

今現在ではなく、過去にその場所にいた人の感情が強く残っている場合、その姿や強く感情を残したシーンがシンクロする。

ホテルやコテージで泊まっていると、クリスマスのお祝いをもらってとても楽しんでいる小さな女の子が見える。よほど嬉しかったのだろうし、その感情が残っているのだろう。静かな夜で空間が広い方が自然と視えることが多い。

何年も前に亡くなったBARのマスターの姿がそのBARの中で見えた。オーナーだったので思い入れが強く、このお店を愛し好きだったのだろう。トイレや水回りで視えることが多い。

こういうパターンは、感情がキーワード。霊の世界では”感情”がとても大事なポイントになる。つまり証拠になる。

時に霊的世界では感情(残留思念)が証拠になる。

現実世界では、犯人を探す時には物的証拠としてどこに何が落ちていたとか、ここに履歴があるからこの場所にいたとか、誰が証人だとかって繋いでいくでしょう?

霊的世界でも、霊障の犯人・原因を探す時には霊的証拠としてどこにどんな感情が落ちていたとか、ここに履歴があるからこの行為は・・・と繋いでいくことが決定的に重要。証人は依頼者本人であることが最も望ましいが、霊感があるご家族とかにも証人がいたら尚良い。

感情証拠を消されたら?鑑定は進まないのか?

つまり、霊的な世界で証拠を消そうとする者がいたら?って次は考える。

じゃあ現実世界でも証拠を無くされたら進めないのか?って考えてみる。

いやいや状況証拠ってのがあるでしょう。だから1つや2つ、仮に感情証拠を消されたとしても、前後の脈絡を繋いでいけば大筋はわかる。経験がいるけど、そういうことをしてくる霊体がいても大した障害にならずに鑑定を進めることも出来る。

ご依頼者には視えにくい世界だからこそ、鑑定はいつも出来るだけ丁寧に、論理的に、確認しながら進めるようにしていますが、そもそもそうでないと全体像は見えてこない。

そうでないと、イスラエル・パレスチナ問題みたいに泥沼状態になってしまっていて、その背景を知らないともうどうもこうもしようがない霊的状態の人もこの世にはいるわけだから。

御符の発明と必要性の数、1500種以上

私が作成する御符は、全て必要性があって生み出したものです。

薬でもそうですね?結核とか赤痢とかなんとかウイルスとか。それが脅威だから、厄介だからこそ対抗する必要があるからそれ対策の薬が発明されて来た。この構図は昔から変わりません。

私が霊障を駆除する必要が以前からあって、いろんな個人的なルーツも役立ちながらそれに対抗できる物が御符とか木札というかたちで作り出せるので、それを突き進めて来たらこんな膨大な数を発明することになってしまいました。今は1500?、木札とか未公開も含めると3000?・・。

一つ一つ狙いは全く違います。

もちろんこの文章を書いている日にもそういうことはあり得ますので、常に違うパターンの霊障を処置する必要が来た時には発明しています。

ある願い事のために・・・というよりも、こういうのがないとやばい、まずい、まともに生きていけない・・・というくらいの切迫感がある方が結果的に発明することになる。例えばこの霊体のしてくることに対して今日60種類発明しないとかなりまずい・・。なんてことがプライベートで発生したりすると、もう全てをそっちのけでそれに没頭します。そして試行錯誤しながら形に作り出す。私は霊視❌フリハ調査ができるので、精度は間違いなく完成まで持っていけるのですが、いきなりすんなりいくことはありません。時間も労力もかなりかかります。

売っている本に書いてあるような霊符の通りに描くものやコピーのコピーみたいなものを実験で作ったことはあるのですよ。でも自作のものと比べると全く論外でした。波動調査とか、霊視・フリハ調査にかけてみてもその結果は一目瞭然でした。

私が作る御符って、紙に筆で単に描くようなものではなく、単に折るだけのものでもありません。その仕組みも一人一人に合わせて一つ一つフィットさせています。仕上がりは一般的には見たことがないような感じの御符なのだと思います。
色んなケースを汲み取っていますので、携帯用だったり貼り付ける用だったりとにも対応させています。

一つの御符が万人に効いたらそりゃどれだけ楽なのかと思いますよね。でも、それだと個別のケースには無駄な部分があったり、欲しいポイントが弱かったりとかがある。

子供の突然の反抗や異常行動はシグナル

お子様のご相談を良く受けることがあります。

心情理解できます。

部活動、塾、進学、習い事、性格、他謎の問題行動など。

どれもしっかりご質問を受けて伺うのですが、今回は問題行動についてクローズアップしてみたいと思います。

基本的に同じ屋根の下で共同生活をしているので、お互い不満に思うことや、時にそれが爆発して喧嘩になることはどのご家庭でもあるでしょう。

喧嘩にはならなくても問題行動を起こして困らせるようなことはあるでしょう。それが家庭内であれ学校であれ。

けれどその問題行動というのが結構事の重大さを測る上で、仕分ける際に重要です。

それが目につく場合は冷静に分析して一度考えてみてください。

その問題行動を起こす程度・レベルを。

姉「勝手に私の服を着て」

妹「着て良いって言ったやんか」

姉「なんでもかんでもえーといったんとちゃう」

息子「Gパン洗濯せんでえーて言ったやろう」

お母さん「そこに置いてたら洗濯するという事やろう」

息子「わざと汚してたんや」

単純に性格の不一致なのか。几帳面といい加減な性格との違いだけなのか。

そのことをフォーカスして霊視&フリハ調査していくと、その偽らざる真実性が視えてきます。

そのどの程度が本物でどの程度が便乗されているのかが。

その便乗が取るに足らない程度ならそれはあまり問題にしなくてよい。

けれどそれが仮に7割も占めている場合はその時にその便乗がなければ、その喧嘩は3割以下にはなっていたことになります。

つまりその喧嘩はその便乗がなければ起こっていないかもしれないということ。

ここでいう便乗とは何なのか。

さらにそれはどこに起因したもので、さらには現実的に修正の余地はあるのか。霊的に修正をしても良いのか。

他人や外部の人間関係に問題が波及する場合、その人たちも霊視&フリハ調査の網にかけないとトータルでは見えてこない。

私がいつも思うのは、物事には骨組みと肉付きの部分があるけれど、その肉が随分余計ならば削いでしまえば良いってこと。

随分余計な霊障の肉でも、削ぎ方はあるだろうと。

例え複雑難儀な方法・法則であったとしても。