私が霊を除去するというのは、それを”除”しているということ。
これは単に、霊を見たり、聞いたりするのではなく、それへ理想的な影響力を行使しているわけだから、私が本来おってもおかしくない負荷はその除の重さの何倍もある。
だけどそれをやることを生業にして、それをやって良い場合にすることをしている自分というのは、私にも鉄筋並みの筋が通った考えや信念みたいなものが要るし、関連する数多の定めも一切ぶれずに守っている。
びっしりと憑いたものであればあるほど、それとの縁は当人や一族・地縁などがつくったものであったりするのだから(他にもあるけれど)、私が単にそれを除しても本来は道理が通らない。
ご依頼があっても全て受けているわけではなく、当人をして課題改善の見込みが全くないなぁ・・・と私が判断すればご依頼を受けないことももちろんある。
だからそこには条件があって、(時に、そうなるに至った理由を知ってもらうもらわないは言って良い時とダメな時があるが)
その課題解決に向けて前進・加速していける人ならば、私も除を請け負ってとことん鑑定するし、(勘違いではない)当人の課題を進めていかない人は、いわずもがな。
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