私が住んでいる関西には寺社が多いです。特にここ京都市内は犬の散歩中ですらどれだけの寺社に出くわすことか・・・。京都は神社や、各宗派のお寺がとても多いです。
これらの宗教的な捉え方は別として、こういった場所にたまに深くまで入って行くのはとても新鮮なものです。それぞれの社寺に独特の空気感があり、波調・波動が漂っています。
ちなみに昨日は気分転換に、京都御所を犬と散歩してました。自転車もたまに通ってのどかなものです。桜の木の下で読書している青年もいて、ちょうど季節的に暑くもなく寒くもなくといったところ。
すいているので、この桜の季節の穴場ではないでしょうか。
ところで今回はそういった寺社や場所のパワースポットとしてのお話。
よく世間でパワースポットと言って、どこどこの神社が良いやら、お寺が良いやら言われていますね。もちろん京都にもたくさんあります。
そもそもパワースポットとはなんのことでしょうか?
そこへ行けば何かのパワーをもらえるわけなのか?
実際のところは、半分その通りで、半分違います。
そもそも寺社でいうその”パワー”とはまあ平たく言うと、その場所が出している波調=波動なのです。それはその地に関わる宗派、歴史、人と密接に関わりがあります。
そりゃ、京都で言えば都1200年以上の歴史の中で、この小さな京都市を目指して、たくさん戦が起こって、平氏・源氏、足利将軍や織田信長、等日本中の武将が皆執念・執着・怨念を持って目指した地です。又、文化人も千利休や雪舟、空海なんかも居座っていたのもここだったりします。
だから、まあその歴史から来る、色んなプロセスからつながってくる京都の寺社の持つエネルギーや波調・波動の大きさは他の地域の比ではありません。大本山と言われるのもそれなりの理由があります。
では、そういった歴史ある大本山ならどこでも良いのか。行けば行くほど良いのか。それは次のお話に・・・。
著者について